清峰金属工業124年の歴史 1898→現在 日清戦争の4年後、日露戦争の6年前という激動の時代に当社は始まりました。そんな時代の中しっかりと4代に渡ってバトンを引き継ぎ、今では124年続く会社になりました。それは時代に合わせて変化してきた証であり、これからの時代には益々求められることです。

清峰金属工業124年の歴史 1898→現在 日清戦争の4年後、日露戦争の6年前という激動の時代に当社は始まりました。そんな時代の中しっかりと4代に渡ってバトンを引き継ぎ、今では124年続く会社になりました。それは時代に合わせて変化してきた証であり、これからの時代には益々求められることです。
1898-1937

清峰の原点

創業者である清峰和太郎は、1898年(明治31年)東京都池尻にて清峰伸銅所を創業。
洋白の溶解・鋳造、水車を動力としてロールを廻す洋白の圧延を行いました。
これが我が国における洋白製造のはじまりです。

JAPAN HISTORY

  • 1902

    日英同盟締結

  • 1904

    日露戦争

  • 1912

    大正へ改元

  • 1923

    関東大震災

  • 1926

    昭和へ改元

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1898

創業時の苦労

創業当時の日本では洋白というものの馴染みが薄く、主に煙管や装飾品への売り込みを誠実に懸命に続け、徐々に洋白の良さをお客様に知ってもらうことができました。

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JAPAN HISTORY

  • 1927

    東京地下鉄開通

  • 1929

    世界恐慌

  • 1937

    日華事変

日本の歴史イメージ01
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1937

軌道にのって

 創業から40年経った頃、戦争の空襲避難と事業拡大のため、東京都江戸川区に会社を移転し、洋白の板製品の増産を図りました。

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1938-1961

清峰金属工業の始まり

第2次世界大戦で日本が緊迫状態にある中、従業員が避難のため会社を離れていくなど
会社存続の危機がいくつもありました。
しかし和太郎は残った従業員とともに洋白を製造し続けることで会社を継続させました。
そしてさらに優れた洋白を製造することを目的に社名を現在の清峰金属工業株式会社へ変更しました。

JAPAN HISTORY

  • 1938

    国家総動員法成立

  • 1939

    第2次世界大戦

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  • 1945

    日本無条件降伏

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1938

大戦後

大戦から10年が経ち清峰製品の需要は洋白を中心に日本電信電話公社(現NTT)の第一次から第五次に亘る通信普及5カ年計画に沿って生産を伸ばし、日本の通信事業発展に貢献してまいりました。
和太郎の元に多くの社員が集まり、多くの顧客にも恵まれ社業も順調に発展する中において、生産規模の拡大を図るべく新工場を建設することになり、1960年に茨城県土浦市(現つくば市)に用地を取得し、工場建設(現つくば工場)に着手しました。

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JAPAN HISTORY

  • 1958

    東京タワー公開

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  • 1959

    安保闘争

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1961

2代目への移り変わり

そして創業から72年がたった1961年初代社長の和太郎が物故により清峰隆が取締役社長となりました。
和太郎の葬儀時には時の総理大臣佐藤栄作から弔辞が送られました。
国の代表から讃えられるほど和太郎と清峰金属が行ってきたことは日本に多大な影響を与えました。

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1962-1999

歴代の想いを繋いで

2代目社長の隆は和太郎から受け継いだものを守るとともにさらに大きくするため、
タスキを受けて一年後の1962年につくば工場の操業を開始しました。
新しい機械を次々と導入し、社員数も増え社員の結びつきも強く、新しく入社する人たちとも
家族のように接することで仕事の苦労を乗り越えてきました。

JAPAN HISTORY

  • 1964

    東京オリンピック開催

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  • 1973

    オイルショック

  • 1989

    平成へ改元

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1962

高度成長期に向けて

そして敗戦後から高度経済成長へと日本の情勢が変わり数々の電子部品メーカーが台頭してきました。
隆は和太郎から学んだ時代の変化への対応力と洋白の強みを活かし、新たな顧客のニーズにも応え、日本の高度成長に大きく貢献しました。
さらに、隆は先のことを見据え、製品の信用を保証するJIS表示認可を取得しました。江戸川工場の閉鎖後、生産拠点を現在のつくば工場へと全面的に集約し、生産体制の確立と製品の信用性向上を図るとともに、社員の暮らしを考えた環境作りを行なっていきました。

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JAPAN HISTORY

  • 1998

    東海新幹線のぞみ
    運行開始

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  • 1998

    長野オリンピック開催

  • 1999

    東海村JCO臨界事故

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1999

今の清峰への移り
変わり

昭和の終わりが近づいた1987年に、3代目社長の清峰哲彌へとタスキは受け継がれていきました。
哲彌は会社を安定経営するため、当時協力関係にあった株式会社清和商会と合併し、生産体制と販売体制の強化を図りました。
準備期間の少なさから哲彌が社内外の環境を取り込み慣れるのに時間はかかりましたが、お互いの知見や技術の共有を行うことができました。
そして10年が経ち、本社機構を今のつくば工場へと移し、台東区の事務所を東京事務所とし、事業の役割を完全に2分し、今の清峰の形の土台を作りました。
創業から多くの変化があった100年を経て、4代目社長の清峰茂樹へとタスキが受け継がれていきました。

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2000-2018

急速な変化の中で

現在の社長へと体制が変わり、2000年に入ってからITが急速に進化していく中、
その進化に合わせて製品を提供し続けるともに、これからの時代に向け企業の信頼と技術の導入に
力を入れるようになりました。

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  • 2002

    FIFAワールドカップ
    日韓大会が開催

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  • 2011

    東日本大震災

  • 2012

    東京スカイツリー開業

  • 2019

    令和へ改元

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2000

新しい技術の
導入苦労と成果

最初はトライ&エラーの繰り返しでしたが、長年の経験と新しい人材から得る知見を合わせることで、既存製品から新製品に至るまで最新の技術で効率的に生産することが可能になりました。
社内の近代化が進む中、2001年に国際的な品質マネジメントシステムであるISO9001を取得、2010年に清峰オリジナル合金であるKA1025の特許取得、2012年にKA250の特許取得、2013年にSnリフロー、ニッケルめっきラインを導入しております。

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  • 2020

    新型コロナウイルス感染症
    (COVID-19)流行

  • 2021

    東京オリンピック
    パラリンピック開催

  • 2023

    生成AI急速に普及

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2020

変化の時代
不易流行

2021年に国際的な環境マネジメントシステムであるISO14001を取得しました。お客様と社会の役に立つために。品質と環境のマネジメントシステムを軸に、ますます激しくなる変化の時代へ対応しながら、昔ながらの清峰の理念、ものづくりに対する姿勢、そして何よりも社員のつながりを強みとして、人々の生活と地球環境に貢献していきます。

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KIYOMINE FUTURE

清峰の未来

過去、今、
そしてこれからを
見据えて

長い歴史の中、私たちは常に時代の変化に対応して変わり続けて来ました。
戦前、戦後、高度成長期といった時代の大きな変化に対応し続け、現在では車載部品やスマートフォン部品など、最先端の製品に貢献しております。
そしてこれから、AI・IoTから始まるデジタル化の渦はますます勢いを増し、私たちにも企業変革の機会が訪れています。
デジタルトランスフォーメーションを加速させ、今まで培って来た変化への対応力をさらに磨き上げることで、ものづくり企業として勝ち残り、これからも世の中に貢献していきます。
そして何よりも社員、顧客、地域社会のために会社を永続させることが清峰の使命だと感じております。

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